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「BARレモン・ハート」作者について

古谷 三敏 Furuya Mitsutoshi
1936年8月11日、満州奉天生まれ。漫画家。
1955年『みかんの花咲く丘』でデビュー。1959年から4年半、手塚治虫のアシスタントを務める。
一度、独立するが、赤塚不二夫のアシスタントとなり、アイディアスタッフとして12年間活躍した後、再び独立する。
主な作品に『ダメおやじ』『ぐうたらママ』等がある。
中でも『BARレモン・ハート』は、2018年8月現在、単行本33巻を数え、累計894万部を超える大人気作品となっている。

名前の由来

1985年から連載スタートしたBARレモン・ハートのレモン・ハートは当時アルコール度数が一番強いとされていた度数75.5°のお酒にレモンハートというラム酒があり、そこからとった名前だ。実は古谷三敏が考えていた名前に一つに度数が75.5°のラッテ・ディ・ソッチラ(ラッテ・ディ・スゥォチェラ)というリキュールがあった。古谷三敏が知人から強烈な酒があると言われ探していたが、連載が始まるまで見つからずその時にデパートでレモンハートというお酒に出会いアルコール度数が38°から75.5°まで様々あり面白い酒だなーと思いながら飲んでみたら美味しかったし直感でレモンハートという名前にした。

BARレモン・ハートは実はスピンオフだった

小学館から出版されている週間少年サンデーにて1970年〜1982年まで連載していた[ダメおやじ]という作品の後期にバー・ウンチク編に登場していた。BARの世界を描いた漫画BARレモン・ハートが誕生する。

古谷三敏とBARの出会い

古谷三敏とBARの出会いには手塚治虫先生が絡んでいた。手塚先生の所でアシスタントをしていた古谷三敏を仕事終わりに新宿のいないいないばぁーというBARに連れていきこういう場所でお酒を飲む事の良さを教えてくれたのだった。そこで出会ったバーテンダー藤田佳朗氏。藤田佳朗氏は北海道出身で北海道の有名BARのBAR山崎で働き、その後新宿のいないいないばぁーに移る。そこで古谷三敏と出会い、数十年の付き合いになっている。漫画のマスターの修行時代は実は藤田佳朗氏の体験談だ。弟子も数多く存在し、バーテンダーの伊藤学氏や現在のBARレモン・ハートのバーテンダー古谷陸氏の師匠である。これがBARレモン・ハートが出来るきっかけだと語った古谷三敏。 古谷三敏の人生とお酒は深い縁で結ばれているようだ。

「BARレモン・ハート」登場人物

レモンのマスター
ふらっとよったBARでベテランのバーテンダーが新米バーテンダーにお酒をかけられている所を目撃し詳しく話を聞き、それなら私に教えてくださいと弟子に志願。そこから修行時代が始まり美味しい水割りが出来上がりようやく1人前として認められ今日までバーテンダーを務めている。
若い頃はスコッチ至上主義だったが、他にも美味しい酒がある事をお客様から教えられ全てのお酒を愛する気持ちをもち全てのお酒を大切にしている。
メガネさん
過去に色々な経験を持ち海外にも長く住んでいた経験があり色々な所に顔が利く。メガネさんと呼ばれている理由は漫画では黒くなっているが実は暗い茶色系の色付きメガネをしている事からメガネさんと呼ばれている。
普段は競馬新聞を読みながら普段はジンを飲んでいるが、ウイスキーなども好きでお酒の知識もマスターに次ぐ詳しさ。たまにだが葉巻も嗜む。
松っちゃん
職業、フリーライター。様々な出版社に出入りし、日々色々な仕事をしている。レモン・ハートでは基本的にウイスキーのウーロン茶割りを飲んでおり、皆からはお酒オンチと言われている。初期の頃よりは様々なお酒を飲み日々、少しずつではあるが成長しているようだ。
よくレモンに女性をデートに誘っているがなかなか叶う事がなく切ない涙を流しているが、次の恋に向かって前向きに歩いている。
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